海から見た松原集落
海から見た松原集落・拡大可

松原は

 日本のほぼ中央に位置し、日本海側福井県若狭の三方五湖レインボーラインのすぐ近く。村は、駅近辺と海岸沿いの2か所に分かれていまして、合わせて約70戸の集落です。


松原の歴史

 塩田の始まり

 

製塩遺跡発掘作業の写真です。

奈良時代頃に、現在の美浜駅付近に住んでいた一族が、海岸へ通い、塩を作っていたそうです。

発掘では、たくさんのカワラケが出てきました。

現在のゆうあい広場地点です。

 

 

 江戸時代 寛文(かんぶん)地震で隆起

 1662年に、滋賀県北部を震源とする寛文地震により松原は3メートルぐらい隆起しました。言い伝えとして、その時海が約200メートル引いたのだそうです。

 地震により新しい土地ができると、製塩をしていた一族の一部の人たちが、海岸近くに住むようになり、松原という集落ができました。

 松原の田んぼは、それによる段差が残っています。つまり、写真の田んぼはかつて海の底か波打ち際だったようです。



松原の神社

 日吉神社

 

松原に入り口には、日吉神社があります。

 

境内には、タブの木、イチョウ、シイノキ、ケヤキなど、たくさんの木が生えていて、夏は涼しく、風雨から神社を守ってくれています。

 

 松原の獅子舞

 松原は、三年に一度、若狭町気山にある宇波西(うわせ)神社の春の例大祭に、獅子舞を奉納します。

 舞い手は頭舞、後舞、頭太鼓、後太鼓の村の四人。村の男子が選ばれます。役目はくじ引きで?。

 宇波西神社は今は若狭町にありますが、実は氏子は若狭町、美浜町の両町にまたがっていて、美浜町の氏子の方が多いくらいです。


松原の海岸

松を植樹

 

「松原」という名前のとおり、かつては海岸沿いに防風林として、松の木が沢山ありました。

 しかし、近年では松くい虫の被害によりだいぶ少なくなってきていました。そこで数年前より、松くい虫に強い松の木の植樹を続けています。